日本の「純文学」に関して発生した論争は、以下のものがあります。
- 昭和期の論争 (1960年代):
- 平野謙によって始まったもの
- 平成期の論争 (1990年代〜2000年代):
- 1993年: 笠井潔によって始まったものと、そこから派生した鈴木貞美と小田切秀雄の間でのもの
- 1998年: 直木賞選考委員らによる直木賞・芥川賞の一本化論、丸谷才一・江藤淳らの雑感、およびそれを受けて書かれた読売新聞での文芸時評に対するもの
- 2002年以降: 大塚英志さんに対するもの
文学フリマは2002年の論争をきっかけに誕生したイベントです。
イベントのルーツを把握するため、文学フリマ事務局では平成期の論争に関する文献を収集しています。
とくに、直接論争に関係するもの・論争について言及したもの・論争の当事者によって言及されたもののなかから、内容を確認したものをリストとして以下にまとめています。
なかでも文学フリマとの直接ないし強い関連性があるものについては太字にて記載しています。
文学フリマや「純文学論争」について深くお知りになりたい方は、是非ご活用ください。
下記のうち雑誌・新聞に記載されたほとんどの文献は、国立国会図書館から複写を取り寄せできます。
★: 「ドン・キホーテの「論争』」(笙野頼子 / 講談社1999年)に所収
☆: 「徹底抗戦! 文士の森」(笙野頼子 / 河出書房新社2005年)に所収
- 「『まんが』の構造:商品・テキスト・現象」(大塚英志)
弓立社(1987)・増補新版:弓立社(1988)
「435万部の神話と狂騒」にまんが雑誌販売部数に関する言及あり。同章記載「『あすか』をけなす」は後年「日本がバカだから戦争に負けた:角川書店と教養の運命」にて「角川歴彦を激怒させたエッセイ」と言及されたものと思われる。 - 「システムと儀式」(大塚英志)
本の雑誌社(1988)・ちくま文庫
冒頭、流通論からコミュニケーションを語ることの意義を唱える箇所あり - 「物語消費論:『ビックリマン』の神話学」(大塚英志)
新曜社ノマド叢書(1989年5月)・角川文庫(2001)・星海社新書(2021)
資本主義下での商業的コンテンツへの自らの姿勢・コミックマーケットへの言及あり。 - 「少女民俗学:世紀末の神話をつむぐ『巫女の末裔』」(大塚英志)カッパ・サイエンス1989年5月刊
p206 にコミックマーケットへの記述あり - 「ユリイカ」1990年2月号p180-187「居心地の悪いトレンド読み屋たちも「あの頃」の夢を見るのか?」(大塚英志)
コミックマーケットへの言及あり。「癒しとしての消費」(1991年6月)p2-16に所収。 - 「新曜社総合図書目録20周年記念号」1990年2月「人は何故物語るのか」(大塚英志)
コミックマーケットへの言及あり。「癒しとしての消費」(1991年6月)p135-138に所収。 - 「群像」1990年9月号p236-237「『宅八郎』的擬態」(大塚英志)
コミックマーケットへの言及あり。「癒しとしての消費」(1991年6月)p269-272に所収。 - 「本の雑誌」1990年11月「出版システムは破綻する」(大塚英志)
「限界に達した出版システム」に対する解決策の考察と提示。2002年「不良債権としての『文学』」で提示された解決策とは大きく異なる。「癒しとしての消費」(199167月)p293-299に所収。 - 「新文化」1991年1月17日「『有害コミック』騒動のための覚え書き」(大塚英志)
表現の自由と、それに伴う責任と義務、反論や批判の自由および受け手の担う義務に言及。「癒しとしての消費」(1991年6月)p324-330に所収。 - 「毎日新聞」1991年2月4日「表現の自由と経済の原則」(大塚英志)
表題通り、表現の自由と経済による淘汰に関する考察。有害コミック騒動が発生する以前から「神の見えざる手」により過度に過激な表現が抑制されていた事実を指摘。「癒しとしての消費」(1991年6月)p332-333に所収。 - 「東京新聞」・「中日新聞」1991年2月10日朝刊「売れない文芸誌の不思議」(大塚英志)
純文学に対する最初の言及。「癒しとしての消費」(1991年6月)p334-337に所収 - 「群像」1991年5月号p18~78「なにもしてない」(笙野頼子)
「売れない文芸誌の不思議」への言及。
(1991年「なにもしてない」(講談社)・1995年「なにもしてない」(講談社文庫)・2010年「笙野頼子三冠小説集」(河出文庫)に所収。単行本版p120・「笙野頼子三冠小説集」p242に該当箇所あり) - 「海燕」1993年2月号 p158-173「そして純文学は消滅した」(笠井潔)
- 「読売新聞」1993年4月27日夕刊15面「4月の文藝 柄谷行人さんと/ありもしない純文学と闘う それこそが最も安全で通俗的」
- 「文學界」1993年10月号 p170-192「純文学と大衆文学 この悪しき因習 1/因習の現在」(鈴木貞美)
以下、連載を「日本の『文学』を考える」(鈴木貞美)に所収 - 「文學界」1993年11月号 p180-205「純文学と大衆文学 この悪しき因習 2/大衆文学の誕生 20世紀の大衆文化と文芸」(鈴木貞美)
- 「文學界」1993年12月号 p338-360「純文学と大衆文学 この悪しき因習 3/文壇の解体」(鈴木貞美)
- 「群像」1993年12月号 p186-210座談会「二項対立を超えて 純文学と大衆文学の現在(変容する「純文学」特集)」(笠井潔・川村湊・清水良典)
- 「群像」1994年1月号 p482-488「批評/季評 「純文学」のために」(宮内豊)
- 「文學界」1994年1月号 p238-263「純文学と大衆文学 この悪しき因習 4完/文学史を書き直す」(鈴木貞美)
- 「読売新聞」1994年1月26日夕刊11面「小説を救う道はある/純文学対大衆文学の図式捨て内容に応じ価格差を」(鈴木貞美)
- 「図書新聞」1994年2月5日号「狼が来た」(井口時男)
- 「群像」1994年4月号 p306-311「それでも『純文学』を書きつづけること(批評/季評)」(井口時男)
- 「朝日新聞」1994年4月14日夕刊11面「純文学使用は戦後から/評価のモノサシ改め文芸全体の見直しを」(鈴木貞美)
- 「文學界」1994年5月号 p208-225「『純文学と大衆文学』余滴」(鈴木貞美)
- 「戦後まんがの表現空間 記号的身体の呪縛」(大塚英志)法蔵館 1994年7月刊
- 「戦後民主主義の黄昏 わたしたちが失おうとしているもの」(大塚英志)PHP研究所1994年7月刊
- 「すばる」1994年7月号からの連載「文学ー近見と遠見と」(小田切秀雄) ※のち「文学 近見と遠見と: 社会主義と文学、その他」として刊行
- 「すばる」1994年8月号p110-115「基準なき信念ー小田切秀雄さんに」(鈴木貞美)
- 「朝日新聞」1994年10月5日夕刊「揺らぐ文学」★
- 「日本の『文学』を考える」(鈴木貞美) 1994年11月刊
※連載「純文学と大衆文学 この悪しき因習」を改稿。 - 「大陽」1995年4月〜9月号・11〜翌1996年3月号「珍しくもないっ」(笙野頼子)★
「マンガ原作者」(大塚英志さんのこと?)と出会ったときの記憶について言及あり - 「群像」1995年7月号p18~36「生きているのかでででのでんでん虫よ」
「増殖商店街」p63-100(1995年講談社)に所収、加筆・修正を受けて「猫道 単身転々小説集」p265-302(2017年 講談社学芸文庫)に所収。大塚英志を思わせる人物への言及あり。 - 「週刊現代」1995年26号(8月19日・26日号)「なぜ新聞は文学作品に半年ごとの勝敗をつけるのか」(笙野頼子)★
- 「日本経済新聞」1995年10月1日「黄色い戦争」(笙野頼子)★
- 「増殖商店街」(笙野頼子) 1995年講談社刊
p74 に論争関係者に言及する文章あり。初出: 「群像」1995年7月号p18~36「生きているのかでででのでんでん虫よ」 - 「読売新聞」1995年11月14日朝刊 まんがランダム(大塚英志)
- 「読売新聞」1995年11月27日朝刊 まんがランダム(大塚英志)
- 「日本近代文学館」1996年3月15日 「忘れていた」(笙野頼子)★
- 「文学 近見と遠見と: 社会主義と文学、その他」(小田切秀雄) 1996年8月発行
- 「朝日新聞」1996年12月14日 「記憶に残るコミック ーーそれこそ、『二項対立を越えて』」(笙野頼子)★
- 「中日新聞」1997年1月8日夕刊7面(文化面)「文学賞は誰のもの? 野間文芸新人賞の委員交代『公共性失われた』笙野頼子さん異例の会見」
- 「新潮」1998年1月号 p272-292「見張り塔から、ずっと (第一回)」 (福田和也)
- 「文藝春秋」1998年3月号 p370-379鼎談「直木賞作家、芥川賞を語るーー『芥川賞には名作が多い』と言いつつ、『芥川・直木賞合併案』まで出た抱腹座談会」(浅田次郎・林真理子・出久根達郎)
- 「オール讀物」1998年3月号 p154-162「不易流行」(渡辺淳一)
- 「新潮」1998年4月号 p230-247「見張り塔から、ずっと (第二回)」 (福田和也)
- 「オール讀物」1998年5月号「シリーズ・直木賞選考委員ロングインタビュー第一弾 直木賞は変わりつつあるか」
- 「読売新聞」1998年4月16日夕刊「文芸ノート ’98春 上・純文学 遠ざかる期待 /閉塞状況が表現の危機招く」(鵜飼哲夫)★
補足: 冒頭1段落目は「文藝」1996年11月号p70「辞任の弁」(江藤淳)への言及か。 - 「読売新聞」1998年4月22日夕刊「文芸ノート ’98春 上・再びジャンル交錯の芥川・直木賞/作家たちに活性化期待」(鵜飼哲夫) ★
- 「群像」1998年7月号 p6-27「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」(笙野頼子)
(2000年単行本「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」に所収) - 「群像」1998年7月号 p194-195「三重県人が怒る時」(笙野頼子)★
- 「毎日新聞」1998年7月7日夕刊「ほらまた始まった馬鹿が純文学は駄目だってさ」(笙野頼子)★
- 「アミューズ」1998年8月12日「魂の向くまま幻想を紡ぐ」(笙野頼子)★
- 「これ小説ですかーー。はい、純文学実験小説です。ー初めて町の本屋さんで私の本を手に取ってくださった方のためにー」(笙野頼子)(1998年11月講談社文庫「居場所もなかった」あとがき)★
- 「文學界」1998年10月号 p12-13「巻頭随筆 サルにも判るか芥川賞」(笙野頼子)★
- 「すばる」1998年10月号 p156-201 座談会「昭和文学史(8) 『大菩薩峠』から見えるもの」(安岡章太郎・井上ひさし・小森陽一)「ドン・キホーテの『論争』」p91で当座談会の安岡氏の発言が参照されている。
- 「本の旅人」1998年10月「大きな本屋の片隅で」 (笙野頼子)★
- 「文學界」1998年11月号p14-15「サルたちが聞かぬふりする『芥川賞論争』」(清水良典)
「笙野頼子 虚空の戦士」(2002年 河出書房新社)p156-159に所収 - 「東京人」1998年12月号p11「文士の森からいちいち言う。」(笙野頼子)★
- 「毎日新聞」1998年12月21日夕刊「文士の森を守るために」(笙野頼子)★
- 「文學界」1999年1月号 p190-233「アンケート特集 「外部」からの「文学」批評」
1999年4月号「文學界」の「謹告・論争終結」で笙野頼子さんが批判 - 「群像」1999年1月号p172~197「文士の森だよ、実況中継」(笙野頼子)
(2000年単行本「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」に所収) - 1999年2月共同通信配信「アヴァン・ポップ」(笙野頼子)★
- 「論座」1999年2月号p198-209 「『純文学』と『純文章』」(清水良典)
「笙野頼子 虚空の戦士」(2002年 河出書房新社)p160-177に、表題「『純文章』としての笙野頼子」として所収 - 「オール讀物」1999年2月号p88-91「直木賞作家大特集特別随想 恐怖の『今こそ』」(山田詠美)
1999年4月号「文學界」の「謹告・論争終結」で笙野頼子さんが「山田詠美さんどうもありがとう」と言及 - 「文藝」1999年春季号 p150-158「魂は自分で守らなければいけない」(笙野頼子、聞き手: 石川忠司)
- 「文學界」1999年2月号p16-17「巻頭随筆 大阪人の文学はスケールがでっかい」(水口洋治)
同1999年4月号「謹告・論争終結」で笙野頼子さんが名を伏せて批判 - 「時ノアゲアシ取リ 笙野頼子窯変小説集」(笙野頼子)
朝日新聞社1999年2月刊。p20-21に論争への言及あり - 「文學界」1999年4月号p272-281「謹告・論争終結」(笙野頼子)★
- 「文學界」1999年6月号p308~339「移行対象文学論、あるいは山田詠美と銀の匙 サブ・カルチャー文学論・第8回」(大塚英志)
- 「文学がどうした!?」 (清水良典)1999年6月・毎日新聞社
- 「群像」1999年7月号p104-133「ここ難解過ぎ軽く流してねブスの諍い女よ」(笙野頼子)のち改稿(文學界1999年6月号に関する言及を削除)の上、2000年単行本「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」に所収
- 「ドン・キホーテの論争」(笙野頼子) 1999年12月発行
- 「文學界」1999年12月号「新人小説月評ー一人称の遠近法」(石原千秋)
「ドン・キホーテのご機嫌伺いー石原千秋氏への質問状」で言及されている - 「朝日新聞」2000年1月7日 「ドン・キホーテの『論争』」(清水良典)
「笙野頼子 虚空の戦士」(2002年 河出書房新社)p148-150に所収 - 「朝日新聞」2000年1月9日 17面書評「ドン・キホーテの『論争』 純文学の存亡は? 怒りと情熱の評論」(清水良典)
- 「週刊読書人」2000年2月11日 1面 「純文学作家宣言 笙野頼子の闘いの記録『ドン・キホーテの『論争』』を読む 高度に批評的な文章表現」 (小谷真理)
- 「論座」2000年2月号 p252書評「ドン・キホーテの『論争』 場当たり的な状況論に陥った『論争ならぬ論争』の記録」(野崎歓)
- 「世界思想」2000年春号 p47-51「思索の力と可能性―緊急動議・『純文学』論争」(中川成美)
- 「作家の値うち」(福田和也)
飛鳥新社2000年4月刊。p274に笙野頼子について「執拗に文芸記者や編集者にたいして現実とも妄想ともつかない攻撃・非難を繰り返してきた」と言及 - 「新潮」2000年7月号 p297「ドン・キホーテの梅雨お見舞い」(笙野頼子)☆
- Sight Vol.4 2000年夏号「文芸季評」(斎藤美奈子)
「ドン・キホーテへの『論争』」への言及あり。「本の本」に所収(2008年3月筑摩書房・2012年6月ちくま文庫) - 「文學界」2000年12月「ドン・キホーテのご機嫌伺いー石原千秋氏への質問状」(笙野頼子)☆
- 「物語の体操:みるみる小説が書ける6つのレッスン」(大塚英志) 2000年・朝日新聞社刊
2003年朝日文庫・2013年星海社新書(加筆修正版)。初出: 小説トリッパー1999年夏季号p36-45・1999年秋季号p124-133・1999年冬季号p160-171・2000年春季号p176-185・2000年夏期号p196-206・2000年秋季号p156-166 - 「リトルモア」 Vol.14 「ドン・キホーテの御礼参上」(笙野頼子)☆
- 「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」(笙野頼子)
- 「愛別外猫雑記」(笙野頼子) 2001年3月1日発行
p5-6, p65-71, p166-167 に論争についての言及あり。2005年に文庫化「「愛別外猫雑記」。初出「文藝」2000年冬号p90-116・2001年春号
「すばる」2001年3月号 p114~152「S倉迷妄通信」(笙野頼子) - 「渋谷色浅川」(笙野頼子) 2001年3月新潮社刊/論争への言及あり
- 「群像」2001年5月号 p182-209「オンとオフーサブ・カルチャー文学論をめぐって」(加藤典洋・大塚英志)
- 「新潮」2001年7月号 「ドン・キホーテの引用三昧」(笙野頼子)☆
- 「戦後民主主義のリハビリテーション」(大塚英志)
角川書店(2001)・角川文庫(2005)。冒頭文に論壇誌のコストモデルについて言及あり。「田中康夫と『サービス』という思想」「論壇誌と語り始めたサイレント・マジョリティ」「思想であるか商品であるか」に文芸誌のコストモデルに言及あり。「ドクター・キリコと『心』を語ることば」にコミックマーケットについて言及あり。 - 「群像」2001年9月号 p130-148対談「言葉の根源へ」(町田康・笙野頼子)
- 「群像」2002年3月号 p138-164座談会「言葉の現在――誤作動と立て直し」(渡部直己・大塚英志・富岡幸一郎)
- 「笙野頼子 虚空の戦士」(清水良典) 2002年4月 河出書房新社
- 「群像」2002年5月号 p216-227「ドン・キホーテの侃侃諤諤」(笙野頼子)☆
- 「一冊の本」2002年5月「『オヤジ』の言説に抗して」(金井美恵子)
「目白雑録」(単行本(2004)・文庫p18-28(2007))に所収 - 「群像」2002年6月号 p332-343不良債権としての「文学」 (大塚英志)
文学フリマ公式サイトにも掲載しています - 「週刊読書人」2002年6月21日 1面 「文学は不良債権か 笙野頼子と大塚英志の『論争』を読む」 (中森明夫)
- 「群像」2002年7月号 p384-389 批評季評「国家・国民・国語と文学」(丸川哲史)
- 「一冊の本」2002年7月「夏風邪日記」(金井美恵子)
「目白雑録」(単行本(2004)・文庫p40-51(2007))に所収 - 「新潮」2002年8月号 p194-195 「お出口はそちらですよ、大塚英志先生――ドン・キホーテの打ち上げ祝杯」 (笙野頼子)☆
- 「群像」2002年8月号 p394-395 高原英理 必要なことを考える自由のためにー清水良典著「笙野頼子 虚空の戦士」
- 「文學界」2002年8月号 p280-285「文学の門前(7) 愚劣なエコノミーに抗してーー歓待の文学のために」(小泉義之)
- 「S倉迷妄通信」(笙野頼子) 2002年9月発行
p25-26 に論争について言及あり。初出「すばる」2001年3月号114~152 - 「日本近代文学」第67集(2002年10月)p225-228「書評 清水良典著『笙野頼子 虚空の戦士』」(中村三春)
- 「文學界」2002年11月号 p178-199「文壇とは何か」(山田詠美・河野多惠子)
- 「SPA!」2002年11月26日p148-151 「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』19回 初の試み『文学フリマ』にアウトローズが出現して大顰蹙!?」(坪内祐三・福田和也)
(「暴論・これでいいのだ!」p87-93に所収) - 「群像」2003年2月号 p200-211「女の作家に位なし!?――ドン・キホーテの寒中お見舞い」(笙野頼子)☆
- 「群像」2003年2月号 p212-216 「もうぼくは『文学』を引き受けることに躊躇しません」(大塚英志)
- 「キャラクター小説の作り方」(大塚英志)
講談社現代新書(2003)・角川文庫(2006)・星海社新書(2013) - 「群像」2003年3月号 p350-353 文芸時評(永江朗)
- 「新潮」2003年3月p6-131「水晶内制度」(笙野頼子)
単行本「水晶内制度」(2003)に所収 - 「新潮45」2003年5月号 p152-160 「私の純文学闘争12年史」 (笙野頼子)☆
- 「群像」2003年4月号 p236-247「場と公共性」 (山岡頼弘)
- 「水晶内制度」(笙野頼子) 2003年7月発行
2020年復刊(エトセトラブックス)。論争について言及あり(2020年エトセトラブックス復刊版p102-107)。初出「新潮」2003年3月p6-131 - 「群像」2003年9月号 p178-194「文学自動製作機械ーー舞城王太郎を一例として」 (大塚英志)
コミックマーケットに関する言及あり - 「河南文藝」2003年夏号 「幻想の今日の質をもとめて」 (笙野頼子・小川国夫・葉山郁夫)☆
- 「河南文藝」2003年夏号 「五十円食堂と黒い翼」 (笙野頼子)
「片付けない作家と西の天狗」(河出書房新社2004年) p51-68に所収。 - 「群像」2003年10月号 p168-182 対談「精神分析的な時代と言葉」(斎藤環・赤坂真理)
- 「ドン・キホーテの『論争』のオトシマエやいかに」(栗原裕一郎)
(宝島社「まれに見るバカ女」(2003年2月刊)宝島社文庫「まれに見るバカ女」(2003年11月刊)に所収) - 「小説トリッパー」2003年秋季号p148-155「サブカルチャー/文学論 スターバックス文学論(なんだか)」(大塚英志)
- 「早稲田文学」2003年11月号p152-161「ドン・キホーテの返信爆弾」(笙野頼子)☆
- 「文學界」2004年1月号 p342-348「文学の徴候(12)移行対象としてのおたく」(斎藤環)
- 「『おたく』の精神史:一九八〇年代論」(大塚英志) 2004年2月発行・講談社現代新書
朝日文庫(2007)・星海社新書(2016)
まんが編集者として直接商業誌に携わった時代の収支計算への言及あり - 「サブカルチャー文学論」(大塚英志) 2004年2月発行
のち文庫化、朝日文庫「サブカルチャー文学論」。文庫判p234「『数』は小説や批評や表現のただし示唆とは何の関係もない」・p238「文学もまた換金性を至上の価値としないことでテレビと同様に特殊であることに『文学』の側はもう少し敏感になった方がいい」との言明あり、p239に笙野頼子「居場所もなかった」への言及あり。 - 「すばる」2004年4月号「金毘羅」(笙野頼子)
(集英社2004年10月・河出文庫2010年9月)。論争への言及あり - 「早稲田文学」2004年5月号「アンケート ブンガクシャは派兵と改憲についてどう考えるのか」(笙野頼子)☆
- 「三田文学」2004年春季号 p242-264「女、SF、神話、純文学ーー新しい女性文学を戦い取るために」(笙野頼子)☆
- 「早稲田文学」2004年5月号 講演録「近代文学の終り」(柄谷行人)
(のち「近代文学の終り:柄谷行人の現在」(2005年発行)) - 「早稲田文学」2004年5月号 p42-50 「更新期の文学(1) 問題点は伝わりますか」(大塚英志)
(連載を「更新期の文学」として2005年刊行) - 「片付けない作家と西の天狗」(笙野頼子)
p51-68「五十円食堂と黒い翼」(初出:「河南文藝」2003年夏号)・p167-p213「片付けない作家と西の天狗」(書き下ろし)に論争への言及あり - 「早稲田文学」2004年7月号 p78-86 「更新期の文学(2) 体操からエンジンへ」(大塚英志)
- 「早稲田文学」2004年9月号 p108-117 「更新期の文学(3) 『暫定的な文学』たちに」(大塚英志)
- 「早稲田文学」2004年9月号 p30-44「RE・文学 死んだよね?–ハァ? 喪前(おたく)が死んでんだよ、アーメン ドン・キホーテの執行完了」(笙野頼子)☆
- 「物語消滅論 : キャラクター化する『私』、イデオロギー化する『物語』」(大塚英志)
角川oneテーマ21・2004年10月刊。p218に文芸誌について言及あり(「ぼくは本書のなかで近代的言説としての『文学』の復興や、社会工学的技術としての『文芸批評』を擁護する、という予想外の結論に到達しました。(略)しかし、別にそれは文芸誌的文学や文芸誌的文芸批評の擁護を全く意味しません。そんなものは死んでしまうか、文化財にでもすればいいのであって文芸誌的文学の『外側』の『現実』の中で、『文学』や『文芸批評』は改めて、世界と向かいあえるのかが問われている、ということです。」) - 「早稲田文学」2004年11月号 p79-87 「更新期の文学(4) サブカルチャー主義のファシズム的リスク」(大塚英志)
- 「新潮45」2004年11月号 p194-195 「迷走する『純文学』擁護」 (小谷野敦)
- 「すばる」2004年12月号 p148-166 対談「森の祈り、太陽の祈り」(加賀乙彦・笙野頼子)☆
- 「立教女学院短期大学紀要」第37号(2005年)p1-27「女の見る夢 笙野頼子『水晶内制度』における極私的神話世界 その1」 (海老原暁子)
「なぜ男は笙野頼子を畏れるのか」(春風社2012年)に所収 - 「早稲田文学」2005年1月号 p128-137 「更新期の文学(5) 近代的言説のファミリーロマンス的偏差」(大塚英志)
- 「早稲田文学」2005年3月号 p106-117 「更新期の文学(6) 『匿名化する文学』と『公共の文学』」(大塚英志)
- 「小説トリッパー」2005年春季号 対談「ライトノベルをめぐる言説について」(大塚英志・斎藤環)
(のちササキバラ・ゴウ編「戦時下の『おたく』」p248-298に所収) - 「早稲田文学」2005年1月号 p89-99「反逆する永遠の権現魂 金毘羅文学『序説』」(笙野頼子)☆
初出および「徹底抗戦! 文士の森」掲載時では批判対象者の実名をカットしており、2024年単行本「解禁随筆集」にてノーカットで所収 - 「早稲田文学」2005年1月号「実名コラムーキャラクターだけ評論家の作り方、つぶし方」(笙野頼子)☆
- 「文藝」2005年春号 p110-145「絶叫師タコグルメ」(笙野頼子)
「絶叫師タコグルメと百人の『普通』の男」(河出書房新社、2006年刊) p7-p80に所収 - 「早稲田文学」2005年5月号 p93-103 「更新期の文学(7) もう一度『不良債権としての文学』に向けて」(大塚英志)
- 「徹底抗戦! 文士の森」(笙野頼子) 2005年6月発行
- 「文藝」2005年夏号 p158-191「百人の『普通』の男」(笙野頼子)
「絶叫師タコグルメと百人の『普通』の男」(河出書房新社、2006年刊) p81-p151に所収 - 「文学に意味はないというお前に意味はない。オレが文学だ。オレこそが「批評」だ。純文学作家笙野頼子」(東條慎生) ※ブログ(2005年7月25日) ※アーカイブ
- 「昭和文学研究」第51集(2005年9月) p53-65 「猫と論争の神話 笙野頼子『S倉迷妄通信』『水晶内制度』の響きと怒り」(中村三春)
「〈変異する〉日本現代小説」(ひつじ書房・2013年)に所収・J-STAGEで閲覧可 - 「小田切秀雄の文学論争」(「囲む会」編) 2005年10月発行
- 「更新期の文学」(大塚英志) 2005年12月1日発行、連載「更新期の文学」を集録
「あとがき」に文学フリマへの言及あり - 「群像」2006年1月号p6-94 「だいにっほん、おんたこめいわく史」(笙野頼子)
加筆・修正版を単行本「だいにっほん、おんたこめいわく史」(講談社2006年)に所収 - 「立教女学院短期大学紀要」第38号(2006年)p1-12「女の見る夢 笙野頼子『水晶内制度』における極私的神話世界 その2」 (海老原暁子)
「なぜ男は笙野頼子を畏れるのか」(春風社2012年)に所収 - 「現代女性作家読本4 笙野頼子」(清水良典 編) 2006年2月25日発行
論争に関する言及あり。- p110-113「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」(梶谷祟)
- p118-123「ドン・キホーテの『論争』」(小谷真理)
- p128-131「愛別外猫雑記」(鈴木和子)
- p132-135「幽界森娘異問」(伊狩弘)
- 「八百木千本様へ笙野頼子より」(笙野頼子)
「絶叫師タコグルメと百人の『普通』の男」(河出書房新社、2006年刊) p179-197 書き下ろし - 「絶叫師タコグルメと百人の『普通』の男」(笙野頼子)2006年4月発行
- 「うつうつひでお日記」(吾妻ひでお) 2006年7月発行 p155に論争への言及あり
- 「だいにっほん、おんたこめいわく史」(笙野頼子) 2006年8月刊
作品内に論争への言及あり。初出:「群像」2006年1月号p6-94 - 「初心者のための『文学』」(大塚英志)
2006年6月角川書店刊、2008年7月角川文庫。あとがきに『文学』への言及あり - 「群像」2006年8月号 p6-89「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」(笙野頼子)
加筆・修正版を単行本「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」(講談社2007年)に所収 - 「群像」2006年10月号 p207-216「この街に、妻がいる」(笙野頼子)
「猫道 単身転々小説集」(2017年 講談社学芸文庫)に所収。論争への言及あり。 - 「一、ニ、三、死、今日を生きよう! ―成田参拝―」(笙野頼子)
集英社2006年10月刊。p33-36、p89、p178-179、p183-184、p217、p237-238に論争への言及あり - 「怪談前後 柳田民俗学と自然主義」(大塚英志)角川選書2007年1月
p475- 「公共性」への言及あり - 「現代思想」2007年3月号 p33-245 「特集 = 笙野頼子 ネオリベラリズムを越える想像力」
- p34-62「ネオリベ迷惑を考えるお茶会」(笙野頼子・白石嘉治・入江公康・矢部史郎・山の手緑・松本麻里・水島希)
- p102-109「『金毘羅』の未来、あるいはネオリベラリズムの終わりを生きるために」(白石嘉治)
- p110-121「死者は『かわりに思い出してください』と呼びかけた」(佐藤泉)
- p128-135「『ない』ものたちの最終戦争 笙野頼子は何と戦っているのか?」(清水良典)
- p136-147「アヴァン・ポップ神話体系」(巽孝之)
- p178-183「ウラミズモの裏地」(水島希)
- p200-207「脳内彼女の実況中継 テクスチュアル・ハラスメントはまだまだ続く」(小谷真理)
- p220-227「怨念の労働 都市を漂う『セーフセラー』の叛逆に向けて」(栗原康)
- p232-245「笙野頼子作品ガイド」(鈴木とりこ)
- 「群像」2007年10月号 p94-134「フェミニズムを越えて」(田中和生)
- 「文藝」2007年冬号 p26-31「近況という名の、真っ黒なファイル」(笙野頼子)
- 「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」(笙野頼子) 2007年10月刊
作品内に論争への言及あり。初出:「群像」2006年8月号p6-89 - 「続々・小説のことは小説家にしかわからないのか」(仲俣暁生) ※ブログ(2007年10月14日)のアーカイブ
- 「隠蔽の手段としての陰謀論」(東條慎生) ※ブログ(2007年10月11日) ※アーカイブ
- 「貧しい「誤読」」(東條慎生) ※ブログ(2007年10月13日) ※アーカイブ
- 「読書の自由について」(仲俣暁生) ※ブログ(2007年10月8日)のアーカイブ
- 「なにが小説をめぐる言葉を息苦しくさせているのか」「アヴァン・ポップの亡霊に気をつけろ」(仲俣暁生) ※ブログ(2007年10月14日)のアーカイブ
- 「実録・「おんたこ」とは何か」(東條慎生) ※ブログ(2007年10月31日) ※アーカイブ
- 「「おんたこ」とは何か・追記」(東條慎生) ※ブログ(2007年11月1日) ※アーカイブ
- 「群像」2007年11月号 p172-181「さぁ三部作完結だ! 二次元評論またいで進めっ! @SFWJ2007」(笙野頼子)
単行本「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」(講談社2008年)p290-305に所収 - 「群像」2007年12月号 p6-106 「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」(笙野頼子)
加筆・修正版を単行本「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」(講談社2008年)に所収 - 「新現実 Vol.5」(2008年1月刊) p6-48「『努力目標』としての近代を語る」(柄谷行人・大塚英志)
- 「三田文学」2008年冬季号 (No.92) p186-202「文学閉塞の現状——笙野頼子氏に尋ねる」(田中和生)
- 「周回遅れの田中和生」(東條慎生) ※ブログ(2008年1月13日) ※アーカイブ
- 「群像」2008年3月号「三部作を終えてー近況という名の不透明ファイル」(笙野頼子)
単行本「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」(講談社2008年)p306-309に所収 - 「本の本」(斎藤美奈子)
2008年3月筑摩書房・2012年6月ちくま文庫。「ドン・キホーテの『論争』」に言及あり。初出: Sight Vol.4 2000年夏号 - 「新潮」2008年5月号「三部作と三特集――近況という名の爆裂するファイル」(笙野頼子)
- 「論座」2008年6月号 特集・笙野頼子 (p183-227)
- インタビュー(p184-191): 論争への言及あり
- 三里塚、チベット、ネグリ、ドゥルーズ–虚構と想像とS・Y・U・J・M (笙野頼子)(p192-195): 論争への言及あり
- 闘う文/夢みる文 笙野頼子遊撃転戦史記 (清水良典)(p196-199): 論争への言及あり
- 『私』に歴史を導入して『私小説』形式はアクロバティックな変容を遂げた (佐藤泉)(p200-201): 論争への言及あり
- 無明世界に燃料投下! ブログ持ちのニュー評論家に紙の上からトラックバックしてみるテスト。(木村カナ)(p210-211): 論争への言及あり
- 作家と論争 (大西巨人) (p214-215): 論争への言及あり
- 2008年6月3日講演「感情の本質、唯一絶対の他者」(笙野頼子)
「Panic Americana」 Vol.13に掲載、Webサイト「笙野頼子資料室」でも閲覧可(本人による注記つき) - 「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」(笙野頼子) 2008年4月刊
作品内に論争への言及あり。初出:「群像」2007年12月号p6-106 - 「三田文学」2008年春季号 (No.93) p210-227「徹底検証! 前号田中怪文書の謎」(笙野頼子)
- 『〈盗作〉の文学史』増刷出来およびいただいた書評プラス永江朗氏にかんする二、三(「の事柄」と続けたくなるが寸止め)(栗原裕一郎氏のブログ ※閉鎖済)
- 「朝日新聞」2008年2月27日「文芸時評:生の一回性の感覚」(加藤典洋)
- 「リアルのゆくえ」(大塚英志・東浩紀)講談社現代新書2008年
「公共」について言及あり。 - 「文學界」2008年11月号 p152-170座談会「蟹工船では文学は復活しない」(柄谷行人・黒井千次・津島佑子)
大塚さんへの言及あり - 松岡正剛の千夜千冊 1297夜 (2009年5月8日)
斎藤美奈子「本の本」・笙野頼子「ドン・キホーテへの『論争』」への言及あり。 - 「海底八幡宮」(笙野頼子) 2009年9月発行
作品内に論争への言及あり。初出:「すばる」2008年10月号p30-123 - 「文学フリマの存在意義」(小谷野敦) 2009年11月2日ブログ ※アーカイブ
- 「私小説のすすめ」(小谷野敦) 2009年7月発行
- 「文藝」2010年秋p146-187「小説神変理層夢経・序 便所神受難品その前篇 猫トイレット荒神」(笙野頼子)
2013年「猫トイレット荒神」p99-175に所収。 - 「すばる」2010年9月号p10-66「小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神(前篇)」(笙野頼子)
「猫ダンジョン荒神 : 小説神変理層夢経 猫未来託宣本」2012年(講談社刊)所収 - 「すばる」2010年10月号p136-199「小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神(後篇)」(笙野頼子)
「猫ダンジョン荒神 : 小説神変理層夢経 猫未来託宣本」2012年(講談社刊)所収 - 「現代文学論争」(小谷野敦) 2010年10月発行
p307-350に論争の解説あり。後日「Webちくま」に笙野頼子からの反論が掲載された - 「Webちくま」2011年2月25日更新「小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって 第1回 告発と検証」(笙野頼子) ※アーカイブ
- 「Webちくま」2011年3月4日更新「小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって 第2回 続・告発と検証」(笙野頼子) ※アーカイブ
- 「人の道御三神といろはにブロガーズ」(笙野頼子)河出書房新社2011
巻末p213-「楽しい!? 論争福袋」に論争への言及あり - 「Webちくま」2011年4月8日更新「小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって 第3回 告発と検証・完結」(笙野頼子) ※アーカイブ
- 「なぜ男は笙野頼子を畏れるのか」(海老原暁子)春風社2012年刊
2005年発表「女の見る夢――『水晶内制度』における極私的神話世界」を所収 - 「立教比較文明学会紀要『境界を越えて──比較文明学の現在』」12号(2012年2月)所収「変わり果てた世間でまだひとつのことを」(笙野頼子)
「猫キャンパス荒神」(2014年・河出書房新社)に所収 - 「すばる」2012年3月号p68-100・p103-124「猫キャンパス荒神(前篇)」(笙野頼子)
「猫キャンパス荒神」(2014年・河出書房新社)に所収 - 「すばる」2012年4月号p.44-101「猫キャンパス荒神(後篇)」(笙野頼子)
「猫キャンパス荒神」(2014年・河出書房新社)に所収 - 「猫ダンジョン荒神:小説神変理層夢経 猫未来託宣本」(笙野頼子)2012年9月・河出書房新社
p159に論争について言及あり。初出: 「すばる」2010年9月号p10-66・10月号p136-199 - 「東京新聞」2013年11月20日夕刊5面「文化面の余白 取材ノートから」
- 「母の発達、永遠に 猫トイレット荒神」(笙野頼子)2013年・河出書房新社
p123 に論争への言及あり。初出: 「文藝」2010年秋p146-187・「すばる」2010年9月号p10-66 - 「猫キャンパス荒神」(笙野頼子)2014年・河出書房新社
- 「猫キャンパス荒神」中の「荒神のプロフィール」p72-73に論争への言及あり・「私事を貫いて」p102-113に小谷野敦と思しき人物への言及あり。初出「すばる」2012年3月号・4月号。
- 「変わり果てた世間でまだひとつのことを」p227に論争への言及あり。初出「立教比較文明学会紀要」12号(2012年2月)
- 「現代日本のネット2001-2016」のために 大澤聡+さやわか+東浩紀 ゲンロンβ6(2016年9月9日発行メールマガジン)
- 「感情化する社会」(大塚英志) 2016年10月
p56・p69に「不良債権としての『文学』」への言及、p116に文壇への言及、p192に【ぼくは「売れる文学」が「正しい」とは一言も言っていない。しかし資本主義システムの中では「文学」も「ことば」もまた経済的要因で変化を余儀なくされる、もしくは自ら進んで変化するという事実からあらゆる議論をスルーしてはいけない。】」、p202に第一回文学フリマへの言及あり。 - 「ひょうすべの国 植民人喰い条約」(笙野頼子)
2016年11月河出書房新社刊。p10「ご挨拶」・p249「あとがき」に論争への言及あり。 - 「群像」2017年4月p7-149「さあ、文学で戦争を止めよう:猫キッチン荒神」
「さあ、文学で戦争を止めよう:猫キッチン荒神」(2017年7月刊)に所収 - 「さあ、文学で戦争を止めよう:猫キッチン荒神」(笙野頼子) 講談社2017年7月刊
p156・p183・p195・p201に論争への言及あり。初出: 「群像」2017年4月p7-149 - 書評「絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男」(豊崎由美) “ALL REVIEWS” 2017年8月17日掲載 ※アーカイブ
- 「文藝」2018年秋号p128-226「ウラミズモ奴隷選挙」(笙野頼子)
- 「ウラミズモ奴隷選挙」(笙野頼子)2018年10月・河出書房新社
初出: 「文藝」2018年秋号p128-226 - 書評「『徹底抗戦!文士の森』(河出書房新社)」(豊崎由美) “ALL REVIEWS” 2020年1月10日掲載 ※アーカイブ
- 「作者による解説ー水晶内制度が復刊した。」(笙野頼子)(2020年8月エトセトラブックス刊「水晶内制度」に所収。
論争について言及あり (p271-305) - 「会いに行って:静流藤娘紀行」(笙野頼子)2020年6月・講談社
p99 に論争への言及あり - 「純文学論争再論」(中沢忠之) はてなブログ(2020年10月4日) ※アーカイブ
- 「海獣・呼ぶ植物・夢の死体 初期幻視小説集」(笙野頼子)
講談社文芸文庫2020年11月刊。p275-276に論争への言及あり。 - 「TVアニメ『逆転世界ノ電池少女』における「逆転」の真意:笙野頼子「おんたこ三部作」との対照から」(高橋優) note(2022年1月31日) ※アーカイブ
- 「大江健三郎が宇山さんに靴を買った話」(大塚英志)
「新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? : 編集者宇山日出臣追悼文集」(星海社2022年3月)p74-76、「昔、ここにいて 今はもう、いない。: 離人的批評集」に所収。文芸誌に執筆することになった経緯を書いている。 - 「解禁随筆集」(笙野頼子)
2005年のエッセイ「反逆する永遠の権現魂 金毘羅文学『序説』」を掲載。
単行本「S倉迷妄通信」(2002年)に所収