これからの「ミニコミ」の話をしよう 〜文学フリマ10周年を迎えて〜

※このページは2011年5月の「第十二回文学フリマ カタログ」に掲載されたものの再録です。

文学フリマは10周年を迎えます。2002年11月に青山ブックセンターで第一回が開催されて以来、同人誌即売会としての規模を着実に拡大、2011年11月の第13回には大田区産業会館PiOから東京流通センターに場所を移して開催される事が決まっています。文学フリマをメインに活動する面白集団・『奇刊クリルタイ』は文学フリマ・望月代表を直撃! 文学フリマのこれまでを振り返るとともに、文学フリマ・ミニコミ業界の今後についての展望を伺いました。

登壇者紹介

望月倫彦
文学フリマ事務局代表。2003年「第二回文学フリマ」より文学フリマ事務局の代表を務める。文学フリマの会場アナウンスは本人によるもの。イベントディレクターやライターとしても活動している。名前の読みは「ともひこ」。1980年生まれ。
republic1963
ライター/『奇刊クリルタイ』編集長。ミニコミ『奇刊クリルタイ』の編集長として活動している。文学フリマには第七回から参加。第十回〜第十二回文学フリマの際に「文学フリマ大交流会」を開催。2011年4月3日には「ミニコミフリマ@名古屋」を主催した。twitter:@republic1963 ブログ: http://d.hatena.ne.jp/republic1963/

論争から始まった文学フリマ

—republic1963(R)「まず文学フリマの成り立ちについて教えてください」

望月(M) 「文学フリマの誕生には笙野頼子さんと大塚英志さんとの間での純文学論争というのが関わっています。大塚さんが文学は出版社の中では不良債権のようなもので、マンガのような売れているコンテンツの利益で純文学の赤字を補填しているということを揶揄したわけです。それに対して笙野さんが大塚さんを批判したんですね。批判をされた大塚さんには反論の機会が与えられるということで、『群像』2002年6月号誌上で「不良債権としての『文学』」が発表されました。その中で、例えばインターネットなどで作品を発表したり、今の商業流通の中で不良債権化してしまうのであれば、マンガにおけるコミケみたいな市場で別の販路を作って文学を売ってみてはどうかと呼びかけた。もし僕(大塚さん)がそれを主催するとして、参加したい人がいたら『群像』にはがきを送ってくれと、そしてはがきが50通を超えたら実際に僕が一回責任を持って開催する、と呼びかけたのが最初ですね。」

—R「なるほど。そうなると今、望月さんが代表をやられている経緯について教えていただけますでしょうか。」

M 「大塚さんが呼びかけた時点で自分が主催するのは一回限りだよということはおっしゃっていました。だから続けたい人は有志としてスタッフに名乗り出てくれれば、引き継ぎをするから次の第二回以降はやってほしい、というのが大塚さんのスタンスだったんです。今にして思えば、大塚英志がイベントの主催をずっとやっていたら意味がないというか、「無理やり続けているだけで、実はこのイベント需要なかったんじゃないの?」ということになってしまったと思います。大塚さんの手を離れてもイベントが続いていくようなら、それこそ大塚さんの提唱したイベントが必要とされていたということの証明になるんですよね。論争の中から生まれた呼びかけであったということから考えれば大塚さん主催は一回限りで、二回目以降はみんなでやるというのがやり方としてスマートなのは確かです。第二回から大塚さんが手を引いたことも笙野さんは批判しているんですけど、仮に大塚さん自身が文フリをずっと続けていたら、それはそれで批判されていたんじゃないかなと思います(笑)。」

—R「望月さんは初回から参加をされていたんでしょうか。」

M「僕自身は第一回目はいち参加者でした。たまたま群像の呼び掛けを読んではがきを送ってみた人でした。そういった参加者にも大塚英志主催は一回限りなので、次やりたければ名乗り出てね、というメッセージは送られてきたので、名乗り出て関わってみようかなと思って始めたのが最初ですね。」

伝説の第一回文学フリマ

—R「第一回の文学フリマはどんな雰囲気だったんでしょうか。」

M 「青山ブックセンター青山本店に併設されている施設でカルチャーサロン青山という会議室が何部屋も繋がっているようなところがあって、場所の広さとしても100ブース入らないくらい。いっぱい入れて90ブースが限界くらいなキャパシティでした。部屋が4つ位に分かれている状況だったんで、こじんまりとした部屋を行き来しなきゃいけないという感じでしたが、青山ブックセンターに併設されている施設なので、なんだろうと思って覗きにくる人が大勢いました。文学フリマが目的ではなく、普通に本屋に来たんだけど隣でそういうイベントをやっているから覗いてみようという人がいっぱいいたので、絶えず賑わっていたという印象はあります。閑散としていたという印象はなかったですね。その時に佐藤友哉さんと西尾維新さんと舞城王太郎さんが書いたという今では考えられないような同人誌が作られて、売り子として佐藤友哉が出るらしいという話が事前にネットで広まって、それ目当ての人が朝100人くらい並んでいました。皆、まさか行列ができると思ってなかったみたいで、大塚英志さんと共同主催の市川真人さんもそこは驚いていたみたいです(笑)。他の人から見た客観的な印象としては行列もできるし、凄い大盛況という印象だったと思います。だから『SPA!』とかで取り上げられてました。「思わぬ行列!?」みたいな感じで絵になるわけです。それで後日、文学フリマを知った人たちもずいぶん盛り上がっていたんだなというイメージを持つことになった。もし第一回目が閑散としていたね、という結論だと第二回やってもなかなか参加者が集まらないと思うんです。その意味では佐藤友哉パワーが貢献大でした。」

—R「当時の出店者は小説系の方が多かったんですかね。」

M 「割合として小説が多いのは確かなんですけど、当然最初の頃から批評系の人達はいて、その中で動員して、行列ができて話題になるというのは小説の人が多かったという感じですね。ただ、一方で第三回には東浩紀さんが参戦したり、第二回の段階で東さんのインタビューを売りにした同人誌が結構はてなダイアリー界隈で話題になり、売れていたということはあったので必ずしも小説一辺倒ではなかったと思いますね。2003年とかの話なので、まだまだはてなダイアリーが最先端だった時代でした(笑)」

今語られる文学フリマ事件史

—R「文学フリマのこれまでの歩みの中で、これは凄いなという事件はありますか。」

M 「第一回の時は自分が主催ではなかったんですけど、こんなイベントでも行列できるんだという印象はありました(笑)。あとは第四回かな。桜庭一樹さんと桜坂洋さんがコラボして同人誌を出した時があって、共作のオリジナル同人誌を書き下ろしたんです。その時は朝イチから300〜400人位の人が並んでいて500部が一時間位で完売していた。さらに驚くべきことは桜庭さんも桜坂さんもその後、より有名になってしまった(笑)。直木賞を取る全然前ですし、お二人が純文学フィールドに進出し始めたぐらいの時だったんですよね。だから、そういう意味でもあれは事件でしたね。」

—R「ゼロアカ道場は文学フリマ史の中ではどういう位置付けですか。」

M 「色々言う人もいますが、文学フリマにとっては成功ですよ。まず文章系の同人誌でもやり方によって500部売れちゃうんだという結果を残したのが一つ。普通、評論は商業的には売れないものという扱いですが、参加した人とか、ゼロアカのニュースを知った人たちは評論を買いに来る人たちがこんなにたくさんいるんだと驚いたはずです。その事実を世に知らしめたっていうことは非常に大きいですよね。作るサイドにとっても、買うサイドにとってもゼロアカ道場によって活字系同人誌を売ったり買ったりする敷居が下がった部分はあると思います。」

—R「毎回ゼロアカ道場のようなイベントを開催して動員を増やそうというのは意識されているんですか。」

M 「それはそうですね。文学フリマに限らず同人誌即売会の一番の問題って、同人用語でいう“買い専”、つまり一般のお客さんを動員しなければ、ブース参加している人同士の売買ということになりますよね。そうなると、マンネリ化するしかなくなるんですよ。いつも同じ人が参加して、ブースで出店してる人同士で買い物をする構図」

—R「隣近所のブースで買うとか知り合いが買うとかですよね。」

M 「お互いが買い合って、もっと言うと物々交換したりとか。それは最初はいいかもしれないけどそれを繰り返すとどう考えてもそれはマンネリ化して、出店するモチベーションにはならない。そうならないようにするにはどうしたら良いかというと、いわゆる一般の買いに来るだけの人、ブースを出している方からすると一見さんの人をたくさん、いっぱい呼ぶことが、結果として、例えば「今回知らない人が何冊も買ってくれたからまた出よう」みたいな最大のモチベーションになると思うんですね。だから、僕は動員というのはかなり気にしています。普通のお客さんの数を気にしていますね。でないとイベントとしては続きません。」

—R「でも、動員が増えてもイベントの収支的には関係ないじゃないですか。」

M 「こういうイベントを続けるためにはまず運営で赤字を出さないこと。それから一般の来場者動員を多くすること。これが続けていくためには必要なことだと思っています。それはやはり、一般のお客さんの来ないイベントには出店者サイドも魅力を感じなくなると思うんで。出店者たちの物々交換会じゃ別に毎回出る必要ないと思われてしまいますから。動員数を増やす事ことが、結局は出店者にとっても魅力的な即売会になり、収支的にも安定すると思います。」

逆ピラミッド型の同人業界

—R 「一般の人からみると同人誌の即売会というとまず真っ先にコミックマーケットを思い浮かべると思います。マンガとか売っているんでしょというイメージがあると思います。」

M 「確かにイベントの形態としては一緒なんですよね。同人誌を持ち寄って、机を並べて売るという形態は一緒です。ただ、それを取り巻く状況は違いますよね。他のマンガの即売会とコミケは圧倒的な差があるんですよね。規模から何から完全に別世界みたいなものです。コミケは世界最大の屋内イベントと言われているんですよ。それは、来場者数の3日間の人数が世界でも最大規模だということですね。警備費だけでも何億円とかいくでしょうし、サークル参加者が3万5千サークルとかいて、それが一堂に会するので、比較にならないです。そのモンスター級のイベントを成功させるために色んな制約があります。コミケ独自のルールがあるんです。ですがコミケ用のローカルルールを他のイベントに当てはめようとしても無理なんですよ。コミケは本当に特殊で僕は同人誌業界というのはまるでビッグサイトのようだと思っています。」

—R「それはどういうことでしょうか。」

M 「逆ピラミッド型が連なっているというのが同人誌業界で、一番上のコミケが一番面積が広い。それで、逆三角形が連なっているから、その下に行くとオンリーイベントが細かくあるんですけど規模がどんどん小さくなっていく。だから、1のコミケに対して100のオンリーイベントがあっても、コミケの参加者層を受け止めきれるかといったら全然受け止めきれないんですよ。しかもコミケだけにしか参加しないという人が何万人もいる。まさにビッグサイトのように逆三角形がいくつも連なっていて、小さいイベントになるほど参加者が減ってトータルのパイも減っていくと。一番上が一番最大面積。だからあのビッグサイトの建物がまさに同人誌業界の縮図になっているということです(笑)。」

—R「残酷な事実が(笑)。」

M「そうなんです。1000のオンリーイベントがあってもコミケの参加者を受け止めきれない。受け皿足りえないんですよ。」

—R「参加者側もコミケしか知らないから、コミケみたいにオペレーションしてくれよと思っているところが多少あると思います。」

M「けっこう「何でコミケみたいにやらないんだ」みたいなクレームがあります。エスカレーターには監視スタッフがついてるべきなんじゃないのかとか。でも、うちのイベントそんなに人殺到しないんですけど(笑)とかそういうことがままあるんですよね。コミケが悪いわけではないんですけど、コミケが基準になっていることで多くのオンリーイベントの主催者を苦しめている側面があると僕は思ってます。」

同人界の隆盛について

M 「ここ数年コミケはどんどん参加者増えているんですよね。より一層。ここでミニコミ全体の話をすると、今kai-youさんがミニコミ2.0で話題になったり、文学フリマもある程度注目を浴びてきてると思うんですけど、それって文芸、ミニコミ界隈が突出して盛り上がってきたというわけではなくて、実は同人全体がどんどん広がっているんですよ。というのもコミケの参加者も毎年々々最大を更新し続けている。それ以外にコミティアも年々参加者が増えているんです。コミティアはパロディを認めないので出店者側に回るハードルは少し高いはずなんですよ。音楽同人即売会の「M3」もそうです。今、同人業界的なるものがどんどん拡大しているんですよ。その中でミニコミが拡大しているのは特殊なことではないとは思うんです。前提として、そこは外しちゃいけないと思います。今ミニコミ盛り上がっているなんて言ってる時に、いや当然同人のマンガも音楽も盛り上がっているんだという部分抜きには語れないと思います。」

—R「批評系のミニコミが沢山出ているという事ことだけで捉えていると間違ってしまう。」

M 「ミニコミという言葉自体が本来は文芸とかに絞った言葉ではないし、リトルプレスとかジンという言葉もありますけど、それはあくまで言葉の問題でしかないですよね。ただミニコミだとかリトルプレスとかジンとかの言葉がフィーチャーされてるのは日本で同人というのはマンガのことになっちゃうからだと思います。」

—R「そうですね。同人誌というとコミケ、マンガみたいなイメージになりますよね。」

M「だから、マンガだけじゃない部分も盛り上がってきてる。その時にどうマンガと誤解されないように伝えるかという時に、ミニコミだとかリトルプレスとかジンとかの言葉が今そっちのサイドでどんどん使われるようになってきたんじゃないのかなと思います。」

「文学」という言葉の重み

—R「ちなみに文学フリマで想定している参加者層はどの方向なんですかね。ミニコミ的なものを想定してるんですか。」

M 「正しく言うと文学フリマの参加者要項は、「あなたが文学と思うものならなんでも構いません」なんですよね。ただ、文学オンリーといった場合、何を持って文学なのかと言い出すと、これはもう文学論争になっちゃいます。長い文学論争の歴史を振り返っても結論出てないですから、万人が納得いく定義は無理なので「あなたが文学と思うものであれば構いません」という非常に緩い要項なんですよね。ただしこれは緩い反面、文学という言葉に重みがあって、たまにあるんですけど問い合わせフォームからの質問で、「私はこういう作品を書いているんですけどこれを文学としてそちらのイベントに参加してもいいんでしょうか?」というのが来るんですよ。」

—R「すごい真面目な方ですね。」

M「文学という言葉にはそういった重みがあるんです。そこで弱干の敷居の高さが言葉に含まれているのが特殊なところかなと思います。しかも、それを自分で判断しなければならない。自分にとっての文学とは何かという、実は非常に大きな命題を参加する人に突きつけているとも言えるわけです。これは凄く特殊なことだと思います。」

—R「まあそのへんは自分で判断して来てくれればいいですよという感じですかね。」

M「そうですね。後は市場淘汰に任せるというか、普通のマンガを置いても文学フリマじゃ売れないよとなれば、普通のマンガで参加してくる人はいなくなるはずですよね。理屈で言えば。」

—R「そうですよね。売れないからやめますよね。」

M 「参加費払うのは無駄だよという話でコミケだけ出てればいいじゃんという話になる。だから、そういう部分での市場淘汰ですよね。マンガはNGとあえて言うつもりはないです。確かにマンガが増えてくるとイベントとしては完全にブレてしまうので、そういう方向にはしないつもりですけど、今の状況ではならないだろうと思います。普通のマンガを置いても別に売れないからという事実もしくはイメージがあれば、あえてマンガはNGと書く必要はないと思います。ただ文学という言葉は難しくて、マンガは NG だといったところで、パブリックドメインになってるような古典文芸をマンガにしましたと言われたら…」

—R「それは文学なのか、という。」

M「その場合にそれを NG ですと言えるかどうかは完全に価値判断というか、ひとつの文学に対するジャッジを下さなきゃいけないので、これは万人が納得いく答えは出せないんですよね。だから、一概にマンガはNGとか歌はNGとかね、言えないです。例えば、歌詞は文学として認めてくれないんですかという話になってしまう。そういう曖昧さは文学というジャンルというか、文学という非常に定義の難しいものを扱っている以上は、それを引き受けなきゃいけないと思っているし、参加者も引き受けなきゃいけない。」

文学フリマが目指すところ

—R「今後の文学フリマの話を聞かせていただきたいんですけど、今後どういうところを目指しているんでしょうか。」

M「実は、次回(第十三回)は会場を変えることが決まっていまして、東京流通センターになります。規模がより大きくなるんですね。ただ一方で今回(第十二回)は前回と応募数がほぼ横ばいで増えなかったんです。だから、今回は落選がなかったんです。落選なくてみんな安心したと思うんですが、落選が出なかったということは参加者が増えなかったということなので主催者としては弱干ドキドキはしているんですよ(笑)。次に会場大きくするのに。」

—R「文学フリマは現在参加者が3000人ぐらいですが、今後どんどん参加者なり来場者なりが増えていくということになるんですかね、」

M「参加者が無限に増えていくわけではないので、どれくらいまでいくのかなというのが想定しているところです。例えばコミティアなどはサークル数が1000いかないくらいで10年くらい推移していたんです。それがある時期からまた増え始めて今はビックサイトで3000サークル規模のイベントになったんですけど、確か2,3年で一気に3000サークル級のイベントになった。文学フリマも800サークルくらいでしばらくいくかもなと思えるんですよね。そこに弱干壁があるんじゃないかと思います。」

—R「1000サークルの壁。」

M「動員の壁みたいなものがある程度あるんじゃないかなと今は思っています。その意味では1000程度の数は受け入れられるという意味でTRCを選んだというのもあります。僕のロードマップではあと2,3年でビッグサイト行くぞ!という勢いはさすがにないだろうというふうには思っています。」

—R「10年以内には1000サークルを超えてとか、そういうイメージなんですかね。」

M 「そう思う反面、文学フリマの対抗馬というか、例えば評論オンリーであったり、ライトノベルオンリーであったり、そういったある程度文学フリマ的なイベントの受け皿になるようなイベントが2,3つあれば1000サークルぐらいの推移でかなり長いこと続いていく可能性もあると思います。これは文学フリマの人気がなくなるとかそういうこととは別問題でそもそも文学愛好者、しかも自分で創作をする側の人間が無限に増殖していくわけはないので。」

—R「事務局としては参加サークルや来場者が増えるに越したことはないですよね。」

M「それはそうですね。ただ、ころころ会場を変えるのも良くはない。あと1000サークルを超えて次の会場を探すとなるとかなりハードル上がります。本当にビッグサイトの東1ホールとかのレベルになってくるので、まあそれを考える時が重いですね(笑)。」

—R「ただ、出店者側の視点から言わせてもらうと規模的にはもっと大きくなってほしいという希望はあります。」

M「もし本当に2000サークル位になってビッグサイトでやらなければいけなくなったら、村上隆さんのGEISAIと同日開催がいいじゃないですかね。他の同人誌イベントくっつくよりは客層が被ると思います。近いというのは出店者ではなく、見に来る来場者。お客さんは被るんじゃないかと。僕はお祭り好きなので(笑)、コラボしたら盛り上がるんじゃないかなと思いますよ。まあ、これは僕の理想であり妄想ですけど。もしくはコミティアでしょうね。ただ、コミティアと一緒だとだいぶ日にちが変わってしまう。マンガによってしまう感じになるのも考えものですしね。どちらもそれが本当に良い選択かは分からないですが。」

—R「既存の参加者にそっぽを向かれる可能性もあると思います。」

M「でも、アンチがいないということはどうでもいいということなんですよ。多少は物議を醸すようなイベントがもっとないと、と考えるのは私がプロレス好きからかもしれないですが(笑)。誰もがなあなあでまったり参加するようなイベントはマンネリ化の第一歩ですよ。そこに何か熱いものがあるから反対意見がでるわけで、ぬるいものだと無反応で終わってしまう。だから、主催者として僕はそういう部分を引き受ける覚悟はしています。」

10年続けたら何が生まれるか

M 「もう一つ、今後の文学フリマの理想像を話せば、今の文学フリマに足りないのは文学フリマ出身の有名人とか作家だと思うので、文学フリマから世に出た、評論でも小説家でも詩人でも構わないんですけど、有名人が2、3人出てくるといいのかなと。やはり今は先程の桜庭さんの話じゃないですけど、要は文学フリマに有名人が参加しましたというのが多い。元々有名な人が参加して話題になりましたというのも、それはそれでいいんですがやはりそれだけじゃ寂しいなと。文学フリマからこういうふう作家が世に出ましたというのは一朝一夕ではできないので、そういう人材を輩出できるようなイベントとして、勢いを絶やさずに継続していきたい。だから新しい人をどんどん加えていきたいし。」

—R「キャリアアップの一つの手段として文学フリマが位置づけられるといいかなというところですかね。」

M「まあ、文学賞とかやっているわけではないので、何を持って文学フリマ出身なのかというのも難しい部分もあるんですけど、やはり多少なりともデビュー前にここで修行して、デビューしましたみたいな位置づけができれば、よりイベントとしてやっている意義があるし、ちょっと広く言えば、文学界に貢献することもできるのかなあと。やはりそれも一朝一夕ではできないので、続けていくことが大事ですよね。それによって、そういう同人誌でも何でも本を手に取って興味持って買いに来てくれる人を増やすのも重要だと思うし。文学フリマも10年経ったので、単発でこういうことをやりたいという段階は通り過ぎたかなと。一回一回こういうことやって盛り上げようというのも大事ですけど、その先を見たい。じゃあ、あと10年続けたら何が生まれるのか見てみたいと思っています。」

R—「本日はどうもありがとうございました。」